Overview
ラジオ、声、送受信、親密性、ケアの倫理を中心に、声がどのように不在を呼び出し、個人的な経験を公共的な形式へと接続するのかを検討している。
ミニFM、電話、放送史、音声メディア論、フェミニズム、クィアな親密性の議論を横断しながら、声の不在性、召喚性、信頼、制度的な電波空間、そして身軽なメディアとしてのラジオの特性を考えるためのメモ。
Keywords
Reading Notes
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Book
『入門メディア社会学』
現代のメディアがどのように生成されてきたのかを、その歴史を丁寧にたどりながら解説する本。
編著:井川充雄、木村忠正
ミネルヴァ書房
現代のメディアがどのように生成されてきたのかを、その歴史を丁寧にたどりながら解説する本。
編著:井川充雄、木村忠正
ミネルヴァ書房
Chapter
第3章 ラジオとプロパガンダの理論 小林聡明
読書メモ。
Summary
この章では、ラジオが単なる情報伝達の手段ではなく、国境を越えて感情や政治的態度を動員しうる、強い政治性をもったメディアとして論じられている。国際放送は文化交流や相互理解を支える一方で、敵対心や憎悪を喚起し、国内外で政治的圧力を形成する装置にもなりうる。こうした性格が「プロパガンダ・ラジオ」という視点で捉えられている。
第一次世界大戦では当初、印刷メディア中心の宣伝戦が展開されたが、20世紀前半に映画やラジオが普及すると、プロパガンダは複数のメディアを横断するものになった。とくに第二次世界大戦では、ラジオが主要なプロパガンダ媒体となる。著者は、プロパガンダ・ラジオを、19世紀末以降のメディア・テクノロジーの発展と戦争が結びつくなかで成立した、説得コミュニケーションのメディアとして位置づけている。
その前史として、19世紀半ばの有線電信、そこから派生する無線電信の発展が整理される。1895年のマルコーニによる無線電信実験、1906年のフェッセンデンによる音楽・音声伝送実験、1907年以降のリー・ド・フォレストによる公共ラジオ放送の試みは、ラジオが通信から放送へ移っていく過程を示している。ただし初期の技術者たちは、必ずしも最初から「不特定多数への放送」を目指していたわけではなかった。
第一次世界大戦期には、イギリス、ドイツ、アメリカでプロパガンダ機関が整備され、戦争遂行と世論形成のための組織的な情報戦が展開された。イギリスの戦争宣伝局、ドイツの戦時報道局、アメリカの広報委員会(CPI)はその代表例である。戦後には、プロパガンダの効果測定や人間の態度変容への関心が高まり、コミュニケーション研究や社会心理学、社会学、心理学、マーケティングへと研究領域が広がっていった。
戦間期には、欧米で本格的なラジオ時代が始まる。1920年のKDKA開局は、アマチュア無線家とは異なる「聴取者」という大衆的な受け手を出現させた。ロシア革命直後のソビエトの放送、1922年のBBC開始、さらにフランス、ドイツ、ソ連の定時放送の開始は、ラジオが国家や社会の基盤的メディアへ移行していく動きを示している。
東アジアでは、日本で1920年代前半から新聞企業による実験放送が始まり、1925年の東京放送局、続く大阪・名古屋の放送局を経て、1926年に日本放送協会が設立された。朝鮮、台湾、満州国でも放送網が整備され、帝国的な統合の装置として機能したことが示唆される。また中国大陸でも、1920年代に外国人事業者から中国人主体の放送へと移りながら、公営放送も展開し、ラジオ放送史の重要な時期を形成した。
1933年以降のナチ・ドイツでは、国民啓蒙宣伝省のもとで情報と宣伝機能が集中的に管理され、ラジオは家庭への普及とともに強力なプロパガンダ手段として用いられた。こうした流れの延長上で、第二次世界大戦期にはラジオが識字率に左右されず、遠隔地へ広く届く媒体として、きわめて有効な戦時宣伝の手段となった。
Note
自分の関心としては、ラジオを親密性やケアのメディアとして見る視点だけでなく、国家・戦争・植民地支配と結びついた政治的メディアとして考える必要があると感じた。とくに、放送が「同時性」や「共同性」を生み出すことと、国民統合やプロパガンダがどのように接続するのかは、今後さらに検討したい。
声、女性、電話、メディアをめぐる議論の参照点。単純化せず、どのようなジェンダー化された声の想像力がそこに与えられているのかを慎重に読む必要がある。
声の他人称性、多人数性、身体から離れきらないメディアとしての声を考えるための基礎文献。
Radio / Voice / Telephone
ラジオの特性を、共同性だけでも公共性だけでもなく、身軽さと絆の両面から捉える視点。身体に近く、持ち運ばれ、一人で聴かれながら、それでも関係を作るメディアとして考える。
パーソナリティの語りとリスナーの関係には、マスコミ未満インターネット以上の位置をもつ領域が存在している。
“ラジオという公的な声のアリーナの語りには、インターネット論着の最大の焦点である「信頼」が確保されているとリスナーに了解されているのかもしれない。あるいは、メディアイベント的な劇場感が、インターネット以上にあるのかもしれない。”
トランジスタラジオ以前、つまりラジオの聴き方が家族聴取の段階でも、すでに言説のレベルでは「一人一人に語りかける」ことを意識して放送がなされていたことに留意する必要がある。
茶の間に置かれて家族揃って聴く各家のメディアから、携帯できることで場所を選ばない、一人で聴くメディアへ転換していった。
この「ながらメディア」「パーソナル・メディア」という新しいラジオの受容のされ方が、1960年代後半の「ラジオ・ルネッサンス」に結びついたといえる。
ラジオに残された個性問題として考えねばならない主題は、〈声〉というメディアの特異性と、制度的=公共的な電波空間の優位性という特性。
メディアのなかの声、つまりオング的な言い方をすれば、二次的な声の文化の特異性を強調する言説は、電話とラジオをめぐって展開されることが多い。
情報の欠損性という特性を持ち、親密さを増幅させるがゆえに、逆に結果として不在を意識させる。
電話のもつ身体性と距離の親密さについて、「電話の中で幻想される身体」が文字を超えていることを強調している。
“電話の声のフェティシズムというのがあるのではないだろうか?というより、電話の声は本来的にフェティッシュであって、それはつねに前後のコンテクストから切れたところで聞き取られる。”
“イメージの実体化によって、電話の声が構築する相手が、それ自体一つの声というモノによって構築される犠牲的な人格性をおび、それ自体が崇拝される一つの物神(フェティッシュ)となる。”
「遙かな父を呼び求めている」という把握は、そのまま受け取るよりも、どのような欲望の配置として読まれているのかを再検討したい。別に女の声は父を呼び求めているのではない。
声の他人称性。声は一対一の親密さに閉じるだけではなく、つねに他者へ開かれ、多人数的な場を孕んでいる。
Care / Feminism
ラジオや声を、単なるノスタルジーや親密さのメディアとしてではなく、ケアの倫理、フェミニズム、クィアな関係性、そして公共性の問題と接続して考えるためのノートを今後追加予定。
Archive
放送史、ミニFM、電話メディア論、音声アーカイブ、フェミニズム理論に関する断片的メモを蓄積予定。